鉛筆よりカッターナイフが必要なのです

  学校へ行くのがいやでした。 学校へ行っても友達はいませんでした。 まわりは楽しそうにしているけれど、わたしは話をする相手もいません。



学校へ行っても落ち着かない日々

  トイレに行って帰ってくると、ふでばこが無くなっています。 どこを探してもありません。 授業はノートもとれません。 教科書を開くと、落書きだらけです。 巨大なΦマークが、たくさんのページに書いてあります。 まわりのだれもが、なにもなかったかのように授業を聞いています。 学校へ行っても落ち着かない日々でした。

  もう ふでばこは持っていきません。 筆記用具は、ポケットの中です。 ポケットの中に入ってるのは鉛筆とカッターナイフです。 シャープペンシルを持っていくと、カッターナイフは不要だと言われるので、 鉛筆を持っていきます。

  ほんとは鉛筆よりカッターナイフが必要なのです。 カッターナイフを持っていると少し安心になります。 すこしだけ自信をもって自分の言葉で話せる気がします。

  しばらくして話し相手ができました。 はじめはこわかったけれど、自信をもって自分のことをはなせるようになって 心が通じたような気がします。 自信をつよく押しつけるのでなく、あいてへの思いやりの気持ちを考えます。 あいても自分と同じように周囲に警戒してるのじゃないかと・・・ 自分が不安に思っていることは相手も同じなんだと・・・ そう考えてゆっくり自分の言葉で話します。 あいてを傷つけるような、とんがった言葉でなく、 できるだけ優しい言葉を選んで話します。

  落ち着いて言葉を選べるようになったのは、 自分に自信をもつことを意識できるようになったからです。 みんな新しいクラスは不安でなりません。 「友達になりたい」気持ちをいたずらでしか表現できない人がいます。 意地悪をして気を引こうとする行動は、幼い子供と同じです。

  心と体が、大人でもなく子供でもない中途半端な年齢なのかも知れません。 自分に自信を持つこと、自分を自分らしく正しく表現することが できないまま大人になれば、 社会でコミュニケーションがとれずに取り残される気がします。

  心から話し合える友達、仲間、環境がないまま、 卒業して社会にでれば、なにか問題を起こす気がします。 自分が他の人とちがう欠落した部分があることに気づけば救われます。 気づいても、そのことで落ち込んで悩み自分を苦しめることになるかもしれません。

  違うことに気づかずに隔離された閉塞感の中で、 他人を悪く思うことしかできない大人になっていく気がします。 先生や親の思い出に出てくる、青春という古くさい言葉にあるような 心をぶつけ合う仲間づくりができる学校は遠い昔なのでしょうか。

 



お金を払う人?お金をもらう人??サービスする人?される人??利益を受けるのはどちら?愛を与える人?愛を欲する人?愛に満たされているのはどちら?
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酉 2010/09/11


それは一夜の夢です。31284